在日の恋人

以前から気になっていた現代美術作家、高嶺格さんの作品に出会えました。

森美術館で今開催されている「六本木クロッシング2010」にて。


正直展覧会自体はイマイチ。テーマである「芸術は可能か?」が愚問に思えて仕方ない。そんな質問をポンッと引っ張り出すことに何の意味があるのか、よく分からなかった。
最後のアーティストへのインタビュー(各人に「芸術は可能か?」と質問している)をなんだか気持ちわるいな~と思いながら観てたらChim↑Pomのエリィが「あ~可能可能可能」とかる~く返していたのが痛快でした。(しかもインタビューには遅刻して電話で)
展覧会的にも別に答えを出そうなんて思ってないんでしょうけど、観客をけむに巻いてる感がどーしてもしてしまいます。

それはそうと、高嶺格。
なんか面白そう。と思っていたけど作品をちゃんと観るのは初めてかもしれない。ゲンビにあったカエルの刺繍みたいなやつは観たことあるけど。
今回の作品名は「Baby, Insa-dong」
在日コリアンである奥さんと高嶺さんのとてもプライベートなやりとりから「国」という単位が(そしてその歴史が)いかに自己のアイデンティティに影響を与えているか、を浮き彫りにしています。
主に二人の結婚式の写真とテキストで構成されていて、見えない壁を見ようとし、さらに乗り越えようとする二人の姿が率直に表現されていました。

手法がどうとかそんなものを越えて、語られている内容にすっかりやられてしまった。。

特に印象に残った言葉は
「絶対的エイリアンというのは、泥沼化した問題を解決できる唯一の存在になりうるのだ」

何の苦労もなく日本国籍を持つ人が、「国」という単位など気にせず、ニュートラルに生きたいなんて思っていても、結局は感覚のどこかに国への帰属意識がしみついているもんなんでしょう。
別にそれは当然なんだけど、そのことに対する無意識がときに在日外国人に対する態度や発言を無遠慮で無神経なものにしているのではないか、と。
自分にもそれはきっとあると思った。

「私たちはどんなエイリアンになれるだろう?そしてわたしたちの子供は?」
という言葉で作品は締めくくられていました。

すっかり興味をそそられたので、さっそく高嶺さんのエッセイ「在日の恋人」を読破。
内容は、恋人との見えない壁を乗り越えるため、マンガン記念館の洞窟に住みながら作品制作をした2003年頃の日記を中心に、恋人との手紙のやりとり、結婚式の様子、出産などなど。

なんか…人間同士の心が通う瞬間にあふれていて、久々に本を読みながら泣きました。私は基本涙もろいけど、この本は本当にいい本やと思います。

あと高嶺さんは二階堂和美さんに惚れこんでいて、洞窟でもライブをしてもらってました。文章に二階堂さんへの愛が溢れていてなんか嬉しかった。「宝だ」と高嶺さん。まったく同感です!

読み終わったときが朝の5時。それから全然寝付けなかった。
突然、「自分の存在のわけのわからなさ」に襲われてとてつもなく怖くなってしまった。
「わたしはわたしでしかない」エイリアンになりたいけど、それがどれだけ不安定で孤独かを思いしらされたような気分。

炭酸飲料でおなかを膨らまし、二階堂さんの歌声を聴いていたらなんとか眠気を取り戻すことができました。朝8時頃、やっと。
二階堂さんのライブ、行きたいな。
「二階堂和美のアルバム」、誰ぞやに貸したっきり返ってこないな。。誰だっけな…。


来年1月から高嶺さんの個展が横浜美術館であります。
すっごく楽しみです。
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by nicolaus_92 | 2010-05-08 00:52 | おすすめ